課題の分離
他人を変えることはできない。
他人を動かすことはできない。
変えられるのは、いつも、「自分」だけだ。
何度でも何度でも言い聞かせる。忘れてしまうから。何度でも。
他人を変えることはできない。
他人を動かすことはできない。
他人の言動が気になって気になって仕方ないとき、というのは、自分の中に未消化の課題があるときだ。
だから、そこをしっかり見て…、蓋を開けて、手を突っ込んで、ちゃんと掴んで、取り出して、うなだれてため息をついて…、それから顔を上げて。やらなくては。やるだけだ。
自分のことを、自分が、やるだけ。それだけしかできない。
ほかのことは、できない。
「こうした方がいいよ」
「こうするべきだよ」
「どうしてやらないの」
「どうしてできないの」
そんな思いが沸き上がって止まらなくなるときがある。
怒りになる。
悲しみになる。
無力感に苛まれる。
でも、そんなことは、無意味だ、そんなことにエネルギーも時間も割いてはいけない。
自分の中にある課題を、まずは、やる。それだけ。
それだけしか、やれることは、ない。
夫と娘の関係が、よくない。なかなかよくならない。
かなり改善したのは事実だけど、でも、それは表面的なものでしかないので、すぐにメッキが剥がれる…、その、剥がれる様子を目の当たりにしているのが、苦しい。
娘が何らかの問題行動を起こしているとき…、正確には「起こしかけているとき」、すでに、夫の身体から煙のように怒りやイライラのオーラが立ち上ってくるのを私は感じる。感じてしまう。
ああ…、まただ、…と暗い気持ちで思う。
許せないんだな。こういう言動が、彼には癇に障ってどうしようもないんだな、と思う。
そして私も、ちょっと前までは、確実にそうだったから、その内面に暗く泡立つ怒りの感情が、手に取るようにわかる。
でも、夫は、それをぶつけてはいけない、と「知っている」から、耐える。ギリギリギリギリと我慢して、娘に接しているのがわかる。
でも気配が張り詰めていて、いつ爆発してもおかしくないと、私の皮膚がチリチリと訴えてくる。
案の定、限界はあっさり訪れて、夫は声を荒げ、娘は走って逃げて物陰に隠れ、出てこなくなる。
手負いの獣のような顔つきで、暗いところからこっちを睨んでいる。
その憎々し気な様子に、ますます夫の苛立ちは募り、声も態度も荒れていく。
今までと違うのは、私が声をかければ娘は出てくるようになった、ということだ。
私との関係は、だいぶ良くなってきた。それでも、まだまだ道は遠い。
物陰から出てきた娘が、私に甘えているのを見て、そしてその「甘え」は、一般的な甘えとは大きく異なっているので、その様子がさらに夫の怒りを大きくする。もうこうなったら、何を言ってもやっても苛立ちにしかつながらない、悪循環だ。
「ねえ、見ているだけでもそんなにイライラするんだったら、ちょっと見えないところに離れていた方がいいよ」と、たまりかねて声をかける。夫はゲーム機を持って別室に消えた。
その間に、兄妹3人の、いろんないざこざやもめごとが次々に起こる。他愛のない諍い、口喧嘩、ポジション争いのようなもの。
それでも、そんな些細なことでも数限りなく繰り返して対応していれば疲弊はする。
ああ、まただ、こうやって、いつもいつも、いつもいつも、私が、私だけが、ワンオペで子供の対応をしている。してきた。そしてこれからもそうなんだろうか。
どうして、夫は、自分でやろうとしないんだろう。自分の中にある問題の本質を掴んで、解決しようとしないんだろう。
やればいいのに。
ヒントはいくらでもある、私だって勉強してきた、自分からどうして情報を取りに行かないのか、掘り下げて対策を考えないのか、理解に苦しむ。
親としてやっていく覚悟がないのか。どういうつもりなのか。
私が言ったことは、やる。私の意見は、聞く。
でも自分からはやらない。すぐに逃げ腰になる。実際に逃げる。考えることを拒否しているように思う。
夫の中に、夫の生育歴の中に、何か確実に問題の核があって、そこをきちんと見て、根本から変えていかないと、いくら方法論だけをなぞったってどうしようもないところに来ているのに。
と、歯噛みする思いでいると、「回避型」というキーワードにぶつかった。
回避型。
まさに、問題の本質に近づいてくると「逃げる」、感情を大きく揺さぶられるような出来事を「避ける」、という状態で、それは親との関係に由来していると言われている。
私は、夫とその両親の関係を、どうにかすることはできない。
夫が「回避型」だとして、それをどうにかすることもできないのだ。
仕方ない。今、私にできることは、私がやれる限りの方法で、娘を守ることだし、過去の過ちによる傷を癒すための努力を惜しまず、試行錯誤し続けることだけだ。
たとえ、それが私と夫の「対立」につながりかねないとしても、やるしかない。
私は、母であるから、守るべき第一義は子供の魂だ。
夫はきっと、子供に私を取られたと、思っているんだろうなと、この頃感じることがある。
子供が可愛くないわけじゃないし、もちろん愛しているけど、それはきっと「父親として」ではないんだと思う。
あの人が、父親からそういうものを貰っていないから、知らないんだから仕方ない。仕方ないけど、「仕方ないまま」では終わらせられないんだということを、どうにかしてわかってほしい、とは思うんだけど。
私は、私にできることを、やるしかない。