助走をつけて殴りたくなんかない

「ママ閉店」、見たとき、へーいいじゃんいいじゃん、ありじゃん、という気持ちと同時に、胸の奥底で「ザワッ」としたのは事実。
炎上するだろうな、っていう気はした。ただ、くだらないから追っかけてはいない。難癖つける方がおかしいし、認知が歪んでいるのだということは自分でもわかる。
でも、その悲鳴のような怨念もわかる。
根深いのよ。
「育てやすい子」(※「いい子」ではない)を、たまたま育ててきた人たちに、「子育て大変だよねー」を語られると、相手の口をふさぎたくなる衝動は確実にある。
頭では、それぞれの育児、それぞれの事情、それぞれの大変さ。っていうのは、よーくわかってるんだけど。
それでも、まだ、傷がかさぶたにもなってなくて、乾いてもいなくて、血を流し続けてるから、不用意に触らないでほしいという気持ちが強いかな。
「転んだこともない(ように見える)人」に、わかったようなこと言われたくないって思う。
根深いのよ(2回目)。
この前、「サザエさんに育児語られたら許せない」っていうのを見かけて、笑ってしまった。
両親と都内一軒家で同居、父親現役で仕事してる、母親も現役で育児と家事を回している、おりこうさんな一人っ子は、自分の弟と妹が面倒を見てくれる…
これで、「ママって大変よね~わかる~、夜には閉店!って宣言して自分の時間持ちたいよね~」って言われたら、助走つけて殴っちゃうかもしれない…!
ああ、だけど本当は、本当は、「苦しんだ方がエライ」なんて私は思ってない。
楽して育児できるんだったら、それ以上素晴らしいことはないじゃん!って思う。いろんな人の手を借りられることは最高だし、もし、子供がよく寝てくれて、病気もしなくて、なんでも食べてくれて、キーキー騒がなくて、聞き分けが良くておとなしくて…、夫は夜中でも起きて子供の世話をしてくれて、休日は率先して外に連れ出してくれて…、そしたら、そういうお母さんがいたら、「よかったねえ!」って一緒にホッとしたい。
本当は、「そうじゃない子」、外で騒いじゃったり感情のコントロールがうまくできなかったり、よその子を叩いたりかみついちゃったり、全然寝なかったり、偏食が激しくて固形物を全然食べなかったり…とか、そういう子を育てている「お母さん(だけ)」に、「母親の育て方が間違ってる/悪い」みたいな圧力が強烈にかかること、そのことにとてもとても傷ついていて、そういう風に見られることや見えてしまうことがつらくて苦しくて、自分の首を勝手にギュウギュウ絞めたり、一人で満身創痍になったという経緯もある。
さらに私の場合、育児苦しかった+親に頼れない、というダブルコンボを決めてしまってる。
実家が近くて頼れる話、遠くの実家に夏休みや冬休みに長期間帰って、その間は母親に子供をずっと任せて自分は楽ができる話、「お母さんが見てくれるから安心」みたいな話の全部、全部にいちいちギリギリ…って歯を食いしばるときがある。
自分が健康な時は、へー、いいなー、で済むものが、疲れてたり病んでたりすると、とたんに怨念に変わりそうになる。そうなりたくないから、歯を食いしばる。いいな、って思うだけで済ませる自分でいたい。それぞれの事情、それぞれの生き方、それぞれの人生。念仏のように唱える。
本当はね、だから、楽している(ように見える)人が悪いとか嫌いとかじゃなくて、自分の中だけの問題だということはよくわかっていて、「そういう人もいるんだなー」「でも私はそうじゃないなー」「みんな、それぞれに、それぞれの頑張り方で生きてるんだよねー」っていう感じになりたい。
成仏させたいなー。
まあ、怨念をだいたい言語化できてるっていうことは、そのうち明かりが見えてくるよね、ということも経験上わかっている。このジタバタもきっと、振り返ったら大切な記憶になる。