ふれること、ふれられること

 昨年夏、講座を聴きに行ったタッチケアセラピストの中島直子さんがfbでシェアしていた記事、すごく心に刺さったので…忘れないようにコピーしておく。
 きっと、「ああ、何を言われてるのかすごくわかる」って感じてくれる人は多いんじゃないかと思う。

 なんだろね。なんのために、私たち、お母さんになって頑張ってきたんだろ。 
 子供のため、子供を愛するため、って必死にやってきたはずだったんだけど、苦しかったな。 
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いくつになっても、いつまでも、こどもたちはお母さんが大好き。小さな赤ちゃんを見てると、お母さん大好きエネルギーだけで生きている感じです。そしてたぶん、子から親への愛の方が無条件で深い。愛も憎しみも、どちらもテーマは同じ。愛のバランスの物語。
忙しすぎて、のんびりおせんべいを食べることも忘れていつもイライラしてるお母さんと、優しすぎて賢すぎて、お母さんから離れられないこども(かつてのこども)。 
こどもが求めているのは、仕事ができて、家事が完璧で、友達が多くて、みんなに信頼されて、こどもを守るために家の中にとどめて、先回りして答えをいうお母さんではなくて。 

もちろんいつもニコニコはできないかもしれないけれど、その険しい表情と尖った声と射抜くようなまなざしで、こどもたちはからだを硬直させて、息をひそめて、不安でいっぱいで、家から出られなくなっているかもしれません。 

小児科医のウィニコットの言葉に「good enough mother ほどよい母親」があるのですが、いいなあ、といつも思います。完璧母さん病が出てくると、この言葉を思いだします。 
ほどほど、いい加減、ちょうどええ感じのお母さんぴかぴか(新しい)完璧でなくてもいいよ。全部を背負わなくてもいいよ。ちょっとくらいミスをするお母さんでいいんだよ。 

ケアルームにはうつや摂食障害や引きこもりや様々な生きづらさを抱えた母娘がたくさん訪れてくださいます。 
精神科やカウンセリング、いろんなところを回り回って、ただふれる、ふれられることを求めていたんだと気づかれた方たちです。 
印象的だったのは、30代の引きこもりのお子さんの相談に来られたお母さん。タッチや抱っこがいいと聞いて、お子さんに毎日教わったようにしていたのだそうです。ところが、ふれているとどんどん腹がたってくる。こんなに一生懸命育ててきたのに、あんなになんでもやらせてあげたのに、こんなに毎日タッチしてあげてるのに、普通にやってくれたらいいのに、なんであんただけがわたしを困らせるの、わたしには誰もふれてくれないのに。 
形はタッチですが、怒りが湧いてきて仕方ない。それはこどもにも伝わり、「もう、触らんとって!」と言われてどうしたらいいかわからない、と相談に来られました。 
一時間の施術を行い2回目のお話。こどもが笑うようになったと嬉しそうです。「1時間も大切に誰かにふれられたことが人生でなかったんです。何かが溶けていきました。タッチや抱っこがいいと聞いて、形はやっていたけど、心はなにもなかったことに気づいたんです。わたしが今まであの子にしてきたことは、みんなそうだったのかもしれません。本当に心をこめて、話を聞いたことはなかったし、想いに寄り添ったことも一度もなかった。自分もふれられていないから、想像もできなかった」と。 
形は大事。でも心はもっと大事。 
気づいてからがスタートです。気づかれるのを待っていた健やかさの種。大切に大切に。

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「気づいてからがスタートです」 
っていう言葉の、優しさ、温かさに、いつも泣ける。 
もう遅いんじゃないか、もう手遅れなんじゃないか、もう間に合わないんじゃないか、って思いながら焦りながら後悔しながら生きてるから。 
でも、気づいてからが、スタートなのね、ここから始めていいんだね。どんなことも。