春が、また来る①

娘が、春から1年生になる。 
 そして1年生という区切りの年齢は、私と子供たちにとって、ひとつの大きな試練になるんだと思う。 

 長男のときも、次男のときも、「1年生」という時期はものすごい嵐だった。 
 心臓が握り潰されるような感覚を忘れることはない。生きながら死んでるみたいだった。 
 きっと、私が、手を放すのが早かったんだ。 
 それは「時期尚早」という意味ではなくて、子供の準備が整う前に、親子の共通認識が出来上がる前に、同時に「いい?じゃあ、放すよ!せーの!」ということをせずに、とにかく一方的に、一刻も早く、早く楽になりたくて、もう持ちこたえることができなくて、「ああもう無理、無理だから!」という悲鳴と同時に、ほぼ放り投げるように手を放した、という感じに近い。 
 手を放した、んじゃなくて、投げ出した。 
 そして、投げ出したから、怖くて、直視しなくなった。 
 ほかにも見なければいけないものはたくさんあった、手のかかる下の子のこともあった、いろいろな言い訳なら、いくらでも、いくらでも湧いて出てきた。 
 だから、小学校1年生になった子供のことは、「もう知らない」、という感じに近かった。 

 ひとりで、3人、両手に抱えて、本当に本当につらくて、苦しかったから、重たかったから、もう手が痺れて肩も外れそうで、これ以上持っていることができなかったから。 
 なのに、やっとのことで放り出した長男は、1年生になっても、死ぬほど手がかかり、意味不明さに磨きがかかり、まともに学校生活を送ることなんてできなかった。 
 何度も何度も何度も注意しても注意しても注意しても、何もかも直らず、毎日、毎時間、毎分、毎秒、同じことを、同じことばかりを、怒鳴っても叫んでも彼には届かず、委縮して、反省したように見えて、また数分後には同じ失敗を仕出かし、手のかかる2歳児のイヤイヤと、ちょっとおかしい幼稚園のいろいろなめんどくさいものごとと、毎日の送り迎えと、その合間合間に、何一つまともには自分一人で出来ない小学生の絶え間ないトラブルが降り注ぎ、叫びすぎて目の前が何度もブラックアウトしたし、ああ、私は脳の血管が切れて耳や鼻から血を噴き出して死ぬんだなと思ったことも一度や二度ではなかった。 
 そのころ私には、ADHDの知識が全くなかった。 
 うっすらとは知っていたし、「きっとこの子は何かオカシイ」と思ってはいたけど、そのことに正面から向き合おうとはしていなかった。 
 毎日、文字通り朝から晩まで私に怒鳴られ続け、罵られ、長男はどんどん様子がおかしくなり、私に寄り付かなくなった。 
 そして私は、そのことに、ああ清々する!!と心の底から思っていた。 
 あー、ようやく、ひとり減った!ひとり離れた!くっつかなくなってきた、ああ清々する。さっさと他の2人も離れてほしい。ああ、もう嫌だ嫌だ嫌だ、全員大嫌い、もう私は一人になりたい、もう嫌だ。 
 って、ブツブツと唇から漏れるほどに、何もかもに疲れ切ってボロボロだった。 
 長男との関係はどんどん悪化していく一方で、私は「この子の顔を見るのも嫌!!!」っていう状態になっていた。 
 憎かった。 
 言うことを聞かない、何度注意しても直らない、フラフラして上の空で、こんなに私を苦しめて、憎たらしくて、顔を見るのも、触るのも嫌だった。 

 その状態から…、私が意を決して、「悪循環を断ち切る」って決めて、ようやく立ち上がったのは1年生の冬だった。 
 
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「衝突する私たち②」 
  
 それから、私と長男の関係は少しずつ、少しずつ良くなっていき、2年生の終わりごろにやっと私は、「この子には適したケアが必要なんじゃないか」と思い至り、スクールカウンセラーとの面談を経て、「確定ではないけど、グレーゾーンにあるADDだと思う」と言われた。安心したのを覚えている。 
 ああ、状態が理解できた、対処法もわかる、「やるべきことがある」んだ。だったら、できる、やれる、と思って、本当に安心した。 
 注意欠陥障害にまつわる本もたくさん読んで、ものすごく勉強した。怒鳴ったり叫んだりすることがなくなり(無意味かつ有害であるということが理解できたので)、ようやく、生産性のある対応ができるようになった。 
 私は、長男の特性をよく理解し、対策を立てることができた。 
 彼がパニックや混乱に陥らないように先回りして状態を整えることに心をくだき、頭ごなしに決めつけたり命令したりせずに、彼の理解が追いつくまで待ち、こだわりが強く我慢ができず譲れない長男がキーキーギャーギャーしないように、要求は今までにも増して通すようにした。 
 そして、長男が3年生、次男が1年生、という日々が、一見穏やかに過ぎていった。