親のこと

 私自身の親に対する、抑圧され続けたことによる「思い込みの親愛の情」から一転して、恨み、憎しみ、怒り、などがぶわーっと噴き出してきて、噴き出し続けて、茫然としていた状態から、さらに一周して、最近は別の思いに辿り着いた。
 親も、苦しかったり辛かったりしたのだろうなと、寂しい気持ちになることがある。
 許しはしない。
 まだ許せないし、傷は癒えてはいない。
 でも、まさに自分が…、一生懸命に、全力で、子供たちに良かれと思って、頑張って頑張ってやってきたつもりの子育てや、家族関係が、めちゃくちゃだったという「結果」を突きつけられて、悔いたり泣いたりしているから…、母も要するにこういうことだったんだろうなと、思う。
 ただ、そのことと、彼女が人格異常者であることは、別のことでもある。
 母親として、やってくれていたこと、彼女なりに頑張ったであろうこと、母なりに我が子のことは可愛かったんだろうなと思うこと、でも成長につれ、思い通りにならなくなって興味を失ったり怒りを覚えたりしたんだろう、そしてその気持ちは私にも心当たりがある。
 何より、母自身がまともに育ってないから、下手くそだったんだろう。 
 私も、下手くそな両親に育てられ、同じように下手くそに育ってきた夫と出会い、歪んだでこぼこ同士で下手くそな子育てをしてきた。
 でも、愛情は、あったの。
 やり方間違ってたけど、一生懸命に、頑張ってきた。
 それは無意味どころか有害で、子供を壊してしまった。頑張ったことなんてなんの免罪符にもならない。
 だから、今からまたやり直していくしかなくて、ひとつひとつ積み上げていくしかない。
 そう考えたとき、母も悪意や害意をもって子供を壊したわけではない、憎かったわけではないのかもしれないなと思った。
 でも繰り返すけどあの人は異常者なので、そこはもう悲しいけどどうしようもない。
 
 親が子に対してできることは、もっと冷静で客観的で、軸のしっかりした、技術の伝承のようなものなのかもしれない。
 そこには、歪んだ主観や、思い込みの愛情、「よかれと思って」の呪いなどは必要なくて、むしろ、どれだけ手を放していられるか、どれだけ黙っていられるか、どれだけ動じずに受け止められるか…、そういうことの方が試され、重要なんじゃないかと思っている。