「甘え」ネガポジ論②

 夫は、子供たちと、よく遊んでくれる。
 子供たちがもっともっと小さい時から、それはそうだった。おむつ替えやお風呂なんかも、やってくれた。
 夫本人は、「俺は育児してる父親だ」「家庭に関わってる方だ」って思ってただろう。
 そして私も、実際にそう思っていた。
 だから、夫に不満を覚えるのは贅沢だと思っていたし、悪いなって思っていた。
 「忙しい中、こんなにやってくれてる」
 「子供のことをもっともっと見ない父親は世にはたくさんいる」
 「激務の合間の休みには、子供たちと一緒にみんなで遊びに行くし、いっぱい遊んでいる」

 だから、「私も頑張らなくては」。

 なのにどうして、どうして、うっすらといつも、不満なんだろう。
 ひとりだけダラダラ飲み食いしている姿、ゆっくりTVを見て笑ってる姿、ソファに寝そべってゲームしてる姿、すぐに自分だけ昼寝する姿…。
 何もかもイライラして、でも、「この人はやってくれてるのに」、ってのみ込んできた。

 夫に、やってほしいと願っていたことが、違うことだったからだと、今頃になってわかった。

 子供たちと、遊んでほしかったわけではなかった。
 子供たちのキーキーギャーギャーワーワーのあれこれを、あのどす黒い魔の時間帯を、ガッチリと受け止めて、「親としての苦労」をしてほしかった。一緒に苦しみを分かち合いたかった。そして、私が弱音を吐いたり、もう子供の顔なんて見たくないと泣いたり、倒れたり、そういうことをさせてほしかった。
 でも、夫にはそれはできない、と私は「先回りして」勝手に判断していた。まあ実際出来なかったんだけど。
 夫は、子供たちの、ネガの甘え行動に「耐性」がなくて…、すぐにイライラする。沸点が超低い。ほんと超低い。えっそれ私だったらむしろ追い炊きして入るけど?みたいな湯温でグラグラする。
 私は、「夫がわが子のことでイライラしている様子」を、見てられなかったんである。
 なぜかはわからないけど、「自分が責められている感じがして」、居たたまれなかった。そして、そんな低い沸点でイライラされたらなおさら、自分はしっかりやって、夫に迷惑をかけまい、と決意を新たにしていた。

 私の中に、「夫も、子供たちの父親である」「だからきちんと取り組ませて、親としての場数を踏ませ、成長してもらう必要がある」という確固たる信念が、なかった。
 それよりは、「んも~、うちは子供3人だけど、上にもう一人、大きいお兄ちゃんがいるから~☆手がかかっちゃって本当に大変☆」って言ってる方が、私自身に葛藤が少なかった。楽だったの。
 目先のラクさに飛びついたおかげで、その数年後にめっちゃ苦しむんだけど。でも当時の私にも夫にも、今のような価値観はなかったのだから、いくらカタチだけ、コトバだけで説明したってムダだったとも思う。

 子供たちの、ポジの甘え、「あれ買って~」とか「ここに連れて行って~」とか、たとえば一緒に遊んで、とか、お父さんと一緒に○○したい、とか、そういう子供たちの希望に、夫は本当に一生懸命こたえていた。
 たまの休みでゴロゴロしていたい…と思っても、よっぽどじゃない限り、「じゃあみんなで遊びに行こうか!」と。ずいぶんあちこちの公園に出没したし、かなり遠出をした。
 それは、我が子たちの動きが激しすぎて、どこかで身体を動かして発散させなければもたない、というのが表向きの理由ではあった。それを私も夫も信じ込んでいた。

 でも、あれ、違ったな、たぶん。
 イベントがないと間がもたない恋人同士、みたいなもんだった。
 何にもなく、部屋でゴロゴロしてるだけでも、どこにも行かなくても、会ってるだけで幸せだよね~、っていうんじゃなくて、「次の休みはディズニーデート☆」「その次は遊園地!」「その次は△△まで遠出して美味しい珍しいものを食い倒れ☆」「その次は…」みたいに、ひっきりなしに何かのイベントや遠出の用事を入れていて、その高揚感がなければ、きっと楽しくない、気まずい、そんな関係の恋人同士。
 それが、夫と子供たち、私と子供たちの、関係だったと今は思う。
 ちゃんと子供に向き合うのは、めんどくさいし、疲れるし、エネルギーを消耗するから…、その分、公園で、アスレチックで、プールで、発散してくれ、と。思っていたんだろう。
 こっちに向けないで。受け止められないから。
 さあ、連れて行ってあげるから、好きなだけ遊んでおいで。
 
 って、連れて行っただけで夫はもう疲れ切っていて、ベンチでスマホ見てたりする。
 そりゃそうだ。一睡もしてなくて仕事して、1時間半も運転してこんな遠くまで来たんだから。
 それでも、子供たちが「遊ぼう遊ぼう」としつこくせがむと、よっこらしょ、と立ち上がって、鬼ごっこでもかくれんぼでも、やってくれるお父さん。
 子供たちは、遊んでくれるお父さん、面白くて優しいお父さんのこと、大好きだった。

 そして夫はよく、「俺は子供のころ、こうやって家族で出かけた思い出がひとつもない」って言っていた。
 「いや、ひとつもってことはないかな?でも思い出せないしなー」って。
 だから、子供たちと一緒に遊べること、楽しい思い出を共有できることは、親にとっても幸せなことだと思っていたし、それは確かに、そうだった。

 でも、それだけでは、ダメだった。

 つづく。