「甘え」ネガポジ論③

 子供達との関係について、スクールカウンセラーさんに言われたこと。

 要するに、子供は、「親に見捨てられたくない、見放されたくない」と思っている。
 そういうときに、ネガの甘えの方を親にバーン!とぶつけて、それをがっちり受け止めてもらって、「それでもあなたを見捨てたりしない」「こんなことで嫌いになったりしない」というメッセージが伝われば、子供は愛されていると実感する、と。
 逆に、そうすることでしか、確認できない、と。

 我が家の場合、夫婦関係も、親子関係も、「ポジ」に偏っていた。
 そして、もし、万が一、ネガな展開になりかけたりすると…、「ごまかした」。
 そう、夫婦喧嘩に発展しにくかったのは、夫が、すぐにごまかすんだ。一番よくやるのは、笑わせて、喧嘩の雰囲気を蒸し返しにくくする、という手口。
 あと、全然関係ない話題を急に振ってきて、思わず返事をしてしまって、それによって次の話題にうつってしまい、「ねえ、ちょっと!それよりさっきの話だけど!」と言いにくくする。
 乗っからなきゃいいじゃん!!!!って思うよね。今の私は思います。そして現に、今はもう、乗らない。
 「今その話してねえだろ!!!!」って飛び掛かるくらいの準備はできている。しかし、今はすでに、夫もそういうごまかし方はしない。

 子供たちについてもそうで、夫は子供たちが何か悪いことをしたときに、「こらっ!」って怒った声は出すものの、それで子供たちがすぐに「ごめんなさい」って言うと、くすぐって笑わせたりして「いいよ、もう、気をつけろよ」って終わらせる。そういう習性があった。
 子供に対しても、怒り続けることができない。
 「ネガな状況」に、耐えられない。ネガを持ちこたえることができないのだ。すぐに放り出してしまう。
 怖いんだ。
 子供の不機嫌、わがまま、ダダこね、意味の分からない八つ当たり、いじけたりスネたりすること、そういうものに夫婦そろって耐えられなくて、私は、キシャアアアアア!って牙を剥いて全力で抑圧し、夫は、甘やかしてニコニコ笑ってごまかした。

 どっちみち、子供たちは、自分の「ネガな甘え」を、親に受け止めてもらえていなかった。

 そうすると、どうなるか?
 「お父さんもお母さんも、僕が何かネガな行動を取ったら、嫌いになる…」って思うだろう。

 私たち親が、子供に対して、愛情不足だったとは、思わない、むしろ過剰だったかもしれない。
 適切に抑制する、ということができなくて、「自分の不安を解消するためだけに」何かを注ぎ込みすぎた感じがある。
 でも、子供たちは愛されているということは「わかっていて」、だからこそ「嫌われるのが怖くて」、ますますネガな甘えを押さえつけただろう。
 長男は、抑える必要があまりなかった、なぜなら彼はいつでもキーキーギャーギャーワーワーしていて、アピールが激しかったから、かまってもらえたからだ。
 でも、もちろん私は、その甘ったれたクソ根性のかまってちゃんぶりに、激しい憎悪を覚えつつ、我慢して我慢してつき合ってきたのだ。
 なんという悪い言葉づかいでしょう。でも清々する。ずっと言いたかったから。
 「ふ!ざ!け!ん!な!」って心底から憎々しく思いつつ、でもぎゅうぎゅうに蓋をして、必死に奥歯で噛み殺して、長男につき合ってきた。だからその後遺症で、蓋が開いてしまった今、長男が何か甘ったれた態度を取るとバーーーーーン!って爆発する。 
 でも、これからは、そのネガな甘ったれを受け持つのは夫の仕事だから、いいんだ。

 次男は基本的に、ずっといい子だった。
 だから、こうやって教えてくれてるんだなと思う。こんなときまで、いい子だ。
 彼が必死で出してくれたサインだから、何とかこたえたい。

 娘はまた、パワーがある子だったから、「ポジの甘え」を「一切出さず」、ネガだけでゴリ押ししてきた。
 辛かった。
 「それは甘えですよ」って言われても、どう考えても、憎しみをぶつけてきているようにしか思えない。
 抱っこをせがむこともなく、抱き上げようとすると振り払って歩き、走って逃げ、私も逃げる子は可愛くないので背を向ける。「置いていくからね!!」って怒鳴らないと、ついてこない。脅かさないと言うことを聞かない。
 嫌がらせ、いじけ、暴言、いたずら、わざと壊す、しつこくせがむ、困らせる、怒らせる、怒鳴るまでやる、叩かれるまでやる、引きずられても抵抗する、みたいな…、たぶん必死で、必死で、「お父さんお母さん、甘えさせて、受け止めて、受け止めて、止めて!!」って訴えてたんだろうな。
 今、びっくりするくらい素直になった。
 もちろん、現在でも問題は山積みで、なにひとつ解決なんかしてなくて、娘との今後にも苦労はいっぱいあるんだけど、それでも、素直に笑ってくれるようになったことだけでも、手を離さなくてよかったと思う。

 ネガの甘え。
 ふてくされたり、暴言を吐いたり、無視したり、八つ当たり、そしていじけたり、スネたり、文句ばっかり言ったり…、そういうことを、「一方的に」ではなく、「お互いに」できて、そして、それでも「毀れない」関係が、本当に強い絆なんだと思う。
 その絆のことを、「信頼」と呼ぶのだろう。

 そういう意味では、夫と子供たちの間には、まだ、「信頼」はできていない。なぜなら子供たちはまだお父さんに「悪い態度」でぶつかっていけないから。そして夫も、今はまだ、ひるむだろう。
 しょーがない、ぶつかり稽古だから、ほんと。ぶつかることでしか強くなれないし、家族だから、「ぶつかり稽古」ができる。これが他人だったら単なる衝突事故だ。

 私は、ぶつかり稽古をしてこなかった(させてもらえなかった)。
 だから、他人とぶつかることが怖くて怖くて、手当たり次第に「嫌われるのが怖い~」って言いまくっていた。
 いや、嫌うも何も、そこまで深いつきあいじゃないし!って、今は、思う。
 なんか、知り合った人全員とガチでつき合わないとダメな気がしてたんだよね(なぜ)。

 今、人間関係には濃淡があり、距離の遠近があり、もちろん好き嫌いもあり、そんな中で、信頼できるつきあい方ができる人もいて、ときには甘えたり甘えられたりしながら、関係を深めたり、あるいは時期によっては浅くなったり、そういうもんなんだな、って思っている。

 子供達にも、親との絆は「絶対のもの」として、しっかり良い形で確保してあげたうえで、そこを基盤に、いろんな人と、いろんな種類の関係を築いたり壊したり再構築したり、していってほしいなと思う。