試し行動
今、私は別の部屋にいるんだけど、リビングで、夫が次男に詰め寄ってるのが聞こえてくる…。
すごい不毛な言い合いをしている。
「言い合い」になる時点で、ダメなんだよ。
親だと思われてないんだな。私たちは、親だと思われてなかったし、それに足るだけの「格」を備えてなかった。
私は今何とか這い上がりつつある。夫は気づくだろうか、できるだろうか。やるつもりはあるんだろうか。
それにしてもひどい、バカみたいな言い合いになってて、泣きたい。
うわべだけ、表面だけ、いくら説教したって、無駄だよ。信頼されてないんだから。
いくら「いいこと」っぽい説教したって、全然届いてない、刺さってない、っていうのが、ここで聞いてると痛いくらいわかる。
…夫を、きちんと「親」にしなかったのは、私だ。今、ここで、聞きながら苦しい思いをするのは、その報いだ。
受けねば。この痛みを。私が夫を「どうせできないんだから」と遠ざけ、嫌な思いをしないように先回りし、何でもかんでも自分のやりやすいようにやってきたことの、結果だ。
たとえこれで、数ヶ月分の後退を見ようとも、長い目で見たら、必要な過程だったのだろうと。思えるような未来に、向かわなければ。
あー!それにしても!!!40年何を考えて生きてきたのかと私が詰め寄りたい。
いや、でも、落ち着け。私も、その、何を考えて生きてきたかわからない親だったんだから。
夫婦で「考えられない親」だったから、子供がこんなにも苦しんでたんだから。
そして、こういうのは、心底痛い目に遭わないと、頑張れないんだから。
夫が自分で這い上がるために、今、その不毛な言い合い、その後の脱力、絶望、全部自分で体感しないと、どうにもならん。
次男から、「はっきり言ってお父さん死んでほしい」発言出た。来た。
ようやく言えたね、かわいそうに。ここまで追い詰めて。
ちなみに私は、娘に、死ね!って何度も絶叫された。この子達、言語化できるまで、どんなに苦しんだだろう。罪悪感なく、死ね!と叫ばせることが、せめてもの、償いだ、今は。死んでられない。
夫は仕事で忙しい、ということを、夫婦ともに、免罪符にしてきたよなあ、と思う。
でも、でも実際ね、激務なんだから、それもどうしようもない。家にいないんだもの。
外で必死に健康を害すギリギリまで働いてきてる夫に、家でもあーだこーだ言いたくなかった。私が。
そしたら子供にツケが回っちゃった。
うまく言えないんだけど、「死ね!」は、「助けて!」と同義だったと思う。
叫ばれたときは本当に死にたかったけど、もちろん、子供は死ねと思って言ってない。
「死ねなんて言われたら悲しいよ」と、たとえば伝えるべきだったのかもしれない、でも、私には、そんなこという資格も権利もないと思った。
クソババア殺すぞ!も言われた。言われても当たり前だと、心底から思った。
子供に、どんな仕返しをされても受け入れるしかないほど、もうどうしようもなく関係がボロボロだった。
何をされても仕方なかった。それだけのことはしてきたんだと思う。
要するに子供は、親の愛情を信じられなくて、でも信じたくて、試して試して、何度でも試してくるので、 その度合いがだんだん激しくなっていって、最終形態が「死ね!」って絶叫だったと思っている。
こんな暴言を吐いても、お母さんは見捨てないの、どうなの!?っていう。
壮絶な試し行動の数々だったけど、その途中経過で、「ほらね、やっぱり、最後はそうやって見放すんでしょ」って言わせたいんだろうな、っていう場面が多く、 よっぽど手を離した方がお互い楽になれる、って思った。けどまあ、何とか離さなかった、今んとこ。
試し行動って、私はやったことない(できなかった)からわからないけど、たとえば思春期ならリスカとか徘徊とか窃盗とかの非行行為に出てくると言われた。
それで親が見放すと逆に安心して安定するって。わかる気がする。
見放してくれたら、ほらね、やっぱり、って安心するのに、安心したいからこそ次々と悪いことをするのに、それでも親が、「見捨てないよ」って手を伸ばして来たら、恐慌状態になるんだろう。
今まで望んでも得られなかった愛情が、そこにある、って思ったら恐怖でしかないかもしれない…。もし、手を取ろうとして、また払いのけられたら?
何がダメで、どうしたらいいか、っていうことについて、残念ながら、他人は誰も答えをくれない。
正解も、不正解も、この世にはなくて、ただ苦しみもがいて、よりよく生きていきたいという「過程」だけが、つねに、あるのかなと思っている。