恨みの蓋

 子供への対応をめぐって夫婦で意見が分かれ、どうしてそんな対応になるのか?っていうことを掘り下げて行ったら、「私は自分が甘えさせてもらってないのに子供ばかりズルい」って気持ちがある、ということに行き当たった。でもほんとはわかってる、子供に言いたいんじゃなくて、夫に言いたいんだ、ということが。
 ずーっと、ずーっと、一人でやってきて、一番きつかった時期の孤独とか、絶望とか、そういうものをちっとも分かち合えてないことを、私は「怒っていて」、「恨んでいる」。

 それを、夫に、言えた。ゲロ吐くみたいに出てきて、呼吸ができなくなった。

 夫は「ごめん」と言った。「俺は、そこまで大変だったっていう記憶がない」
 「だからすごく気楽に、適当にやってたんだと思う。ガキだった」と。

 そして私は、当時、夫に何か言って険悪になるよりは、私が自分でやった方が早いのだと、自分が好きでやりたいようにやっているのだからと、折り合いをつけて納得しているつもりだったけど、こんなにゲボゲボ出てくるってことはちっともそうじゃなかった。 
 あのとき、大変だから手伝ってと、つらいから助けてと、言えなくて、一人で勝手に頑張ってごめんなさいねと、私も謝った。

 そうしなかったばかりに、こうやって数年越しで夫に取り返しのつかない恨みをぶつけ、傷つけている。自分も傷ついている。
 そして、私が自分で全部抱え込んでしまったせいで、夫が親として成長する機会を、子供たちと真剣に接する場を、奪ってきたんだと思う。

 気づかなかった夫も悪く、奪って抱え込んだ私も悪く、でも私は、この恨みを墓場まで持っていくのだろうとうっすら思っていたので、「恨んでる」と言えてよかった。
 恨みを募らせることはもちろんよくはないけど、でも、恨んでしまった場合に、それを本人にぶつけられるのは、そういう信頼関係があるからで、ようやく私たちは今ここに立てたんだと思う。

 一人でフラフラになりながら深夜に授乳していたいくつもの寒い夜、明るくなっていく空を見ている絶望。10年かかった。 

 「恨み」の話。

 …たとえば私は、親には、言えないと思う。

 言ってもどうしようもないし、と思っている。

 夫に対しても長らく、そのように諦めていた(ある意味では見放していた)。
 でもやっぱり、どうしても、漏れて、ほんとに嘔吐によく似ていて、ゲボゲボゲボ…って感じで出てきた。
 立っていられなくて、流し台の縁を掴んで、ようやく身体を支えていて、息ができなかった。
 言いたいことをもっといっぱい言ったり、声を張り上げて泣きたかったけど、できなくて(ものすごくブレーキがかかった)、のどにいっぱいゴツゴツした石が詰まったみたいになって、咳ばかり出た。

 だから、感情のありったけを、バアアアアッとぶつけたのかといえば、そうでもなかった。言ってやりたかったことや、罵声なんて出てこなくて、ようやくの一言が「あなたを恨んでいる」だけで、でも、それを夫が反射的に叩き落さなかったから、恨みはそのまま成仏したんだと感じている。

 今までの夫だったら、「そんな何年も前のことを今言われたって、俺にどうしろって言うの!?」って逆切れしたと思う。
 逆切れ。
 相手の負の感情を受け止められないから、パニックで叩き落すのだ。

 でも、夫は、そうしなかった。

 子供達とのいろんなあれこれで、身体にしみ込んだのかもしれない、「受け止めること」が。

 ひとりで、何時間も何時間も、寝かしつけをずっと私だけがやっていて、子供が寝なくて、2時間でも3時間でも私はひとりで何年間も、毎日、毎日、毎日。その間、あなたはひとりでテレビ見たり、ゲームしたり、もう、私は寝かしつけなんかしたくないんだ!えーーん!えーーん!って、バカな子供みたいに泣きじゃくった。

 こんなの、せいぜい子供が2歳くらいのときに、済ませておかなければいけなかった話だと思う、我ながら。 もう小学生の子供がいて、今更どうしろと?っていう話だと思う。

 でも、自分でも、そんなところが引っかかってるなんて自覚していなかったんだ…。ほんとに苦しかった。苦しすぎて、無理やり、飲み込んで忘れたんだな。