Power of touch講座 中島直子さんと私①
直子さんに会ったことは、一度しかない。
知り合ってから10年になる。その間、いつも、心のどこかに、ずーっと直子さんの存在はあった。
でも、実際に、たとえばメールをやり取りしたり、電話で話したり、会ったり、SNSで繋がり続けていたり…ということは、ほぼなかった。なかったのに、心の中にはいつも、いた。
もともとは、知人に誘われてゲストライターとして参加したコラムマガジンの、執筆陣の一人が、直子さんだった。だから、書くものを通じて、こんな人なのかな…と想像するだけだった。
一度だけ…、執筆陣全員で、チャットをしたことがある。数人いたライターの中で、誰とも面識がないのは私だけだった。「初対面」ですらない、「はじめまして」のチャットが、10年後の今も記憶に残るくらいの面白さだった。
何をやり取りしたかなんて、ほとんど覚えていない。ただ、PCの画面の前で、お腹がよじれるほど笑って、息ができなくなった感覚だけが残っている。
そして、コラムマガジンが終わったとき、私と直子さんの接点はなくなった。
共通点もほとんどなかった。私の子供は、直子さんの子供よりうんと幼く、しかも男子で、そのときはまだ一人だけしかいなかった。その一人だけの男子のお世話ですら頭が爆発するような大変さだった私と、娘さん2人にベビーマッサージを施しつつ、イクメンで料理上手な旦那さんと、愛に満ちた生活を送っている直子さんでは住む世界が違う…、と、そのときの私は感じたのだった。
「違う」と、思いたい理由が、きっとそのときの私にはあったのだろう。実際に違うかどうかは大きな問題ではなく、私が、「違う世界の人なんだな」と、感じることに「決めた」 理由。
何から目を逸らしたのか。何に向き合うことを怖がったのか。何に蓋をしたのか。今ではもうわからないけれど、でも確実に、そのときに「見えなくしたもの」が、数年後の今、より強烈な形で、より衝撃を伴って、私の価値観を揺さぶりに来ている。
当時、1歳の長男の育児に行き詰まっていた私は、必死に調べて、桶谷式母乳マッサージの教室にたどり着いた。
そこで言われたのが、「お母さん、この子、望んだ妊娠でした?」。
「はい…、もちろん、欲しくて授かった子ですが…」
「あら…そう。でもね、この子ね、『ボクは望まれて生まれてきていない』って思っちゃってるみたいよ。そういう子ってね、ほら、目を合わせないのよ。ほら、ね。視線が合わないでしょ。ね。こういう子は、生まれてきちゃいけなかったんだ…って思ってる可能性があるから。そういう子のために、セラピーがあるから、ぜひ行ってみて」。
そう言って渡されたチラシは、「抱っこ法」というセラピーの宣伝だった。
当時の私には、冗談かと思うほどの高額で、内容もよくわからず、何より、一方的に押し付けられたことの不快感でいっぱいだった。
思ってもいなかった宣告を受けたショックで頭がガンガンし、泣きながら家に帰り、泣きながら夫にことの顛末を話した。
育てにくい子だった長男のことを、悩んで悩んで、悩んでようやくたどり着いた場所で、「この子は、生まれてきちゃいけなかったと思っている、望まれていなかったと思っている」と言われ、セラピーに行けと言われた絶望は、本当に深いものだった。
今、いろいろなことを学び、知り、実感した目で振り返ると、確かにそう言われることに心当たりはある。だけど、あのときの、あの言い方では、私が求めている助けには繋がらなかったのだ。
夫はその話を一笑に付した。ばかばかしい、と笑い飛ばした。笑い飛ばされて、私の心は明るくなった。気がした。
それでもまだ、モヤモヤと引っかかるものがあったので、友人に相談した。直子さんと共通の友人で、もともと私をコラムマガジンに紹介してくれたのもその人だった。私は彼女のことを信頼していたので、こういうことを言われた、抱っこ法を勧められた、納得がいかない、という話をした。
当時、直子さんは、私の記憶に間違いがなければ、「抱っこセラピー」というセラピーを勉強していたか、教えていたか、ベビーマッサージに取り入れていたか…、何か、抱っこセラピーを行う団体と関係があったと思う。
厳密にいえば、「抱っこ法」と「抱っこセラピー」は違うものなのかもしれないが、私は同一視していた。相談した友人もそうだったのだと思う。
彼女は、抱っこセラピーのことを「頭がおかしい団体だとしか思えない」と、断じた。「正気の沙汰ではない」と。
それに関わっている直子さんのことも、「言っていることとやっていることが違うように思う」と言った。
直子さんと、たった一度会ったのは、確かこの時期だ。
東京の大きな公園で、大規模なフェスティバルがあり、子育て関連のさまざまな団体が出店していた。そこに、直子さんが参加していたので、会いに行ったのだ。
ベビーマッサージのお店、アロマのお店、自然食品のお店、ナチュラル染の衣料品、いろんなお店がある中、直子さんのいるブースに、会いに行った。
ほんの数分、話をした。
でも、それだけだったのだ。
夫が、セラピーとかスピリチュアルとか占いとかカルトとか宗教とかカウンセリングとか精神分析とか、そういうもの一切合切まとめて大嫌いで、強烈な拒否反応を示す人だったから、そのフェスティバルの会場にいる間中、ずっと怒っていた。ずっと怒っている夫と、赤ん坊を連れて、大混雑の公園の中を歩き回り、直子さんに会えて、ゆっくりいろんな話をしたかったけれど、夫の機嫌がこれ以上悪くなることを恐れて早々に退散した。それでも夫はかなり怒っていた。
一番そばにいる夫が、抱っこ法やセラピーを胡散臭い、大嫌いだと強烈に非難したし、直子さんと共通の友人も、胡散臭いという評を下していた。
それが正しいのだと、私は、思い込むことにした。そう思わなければ、やっていけなかったからだ。
そして、長男のことで深く傷ついていた私は、抱っこ法をばかばかしいと笑い、抱っこセラピーを胡散臭いインチキ集団と決めつけ、その集団に関わっている直子さんと、疎遠になった。
抱っこ法や抱っこセラピーをインチキだと決めつけていないと、長男の育児が辛くて苦しくて、生きて行けなかった。
そんなインチキに頼らなくても、ちゃんとできる、って証明しないと、ダメだった。
そのためには、直子さんと、離れなければいけなかった。
だけど、その後も、何年間も何年間も、私の心の中には、直子さんの存在があり続けた。
札幌で私と同じように育児に苦しみ続けている友達に、直子さんのベビマを勧めたりした。「私は行ったことはないんだけど、でも、絶対にプラスになると思う、楽になると思うよ」と、断言して。
そうやって、友達には勧めるのに、私自身は、直子さんと連絡を取るまでずいぶん時間がかかった。共通の友人の存在があったからだ。
あのとき、直子さんの活動をあまりよく言わなかった彼女とは、去年、関係が決裂した。ほかにも共通の知人があちこちにいたので、SNSでのつき合いにさまざまな差し障りがあって、困っている。でも、二度と関係が修復することはないと思う。お互いに。
その人と決裂することは、必然だったのだと思うし、それと前後して、去年の初夏から私は、「抱っこ法」の施術を何度か受けたのだった。
やっぱり10年たっても、心のどこかにずーっと引っかかっていたのだと思う。長男ではなく、次男と、末っ子の娘のことで悩み、改めて調べて、「抱っこ法」に辿り着いた。
そして、そこで衝撃の体験を重ね、私も、それどころかあの頑なな夫までもが価値観の大転換に至り、「子供を本当にしっかり受け止めるということ」について、深く深く考えざるを得なくなったのだった。
学校公開
今日は、学校公開だった。
久しぶりに、授業を受けている次男(小3)の様子を見た。
去年の2学期までは、母子同伴登校で、びっっっしり教室に付き添っていて、付き添っているのに教室に入れなくて…ということもしょっちゅうだった。
3学期は、付き添いを一切やめた。だから、「行けない日」が圧倒的に増えた。それでも、もし「行ける日」があるとすれば、それは「一人で行ける日」だったので、日数は少なくても、そっちの道を選んだ。
そして、4月。朝から帰りまで、完全に一人で登下校している。始業式の日から、1日も休んでいない。
もちろん私は付き添っていない。
だから、去年の12月以来の…、教室で授業を受けている次男の姿。
元気に頑張っていた。
去年も、学校で授業を受けられることはあったけど、そのときのような痛々しい緊張感はなかった。
緊張はしてるんだろう、疲れてもいるだろう、たいへんな思いもしているだろう…、そういうのを私は端々から感じたけど、でも、笑顔もあり、声も出ている、何より、休み時間になっても私の方に来ないで、自分のペースで過ごしていることが本当に嬉しかった。
以前は…、休み時間になると私のそばに貼りつくようにして、「お母さん…頭が痛くなってきた…」「気持ち悪い…帰ろう…もう帰りたい…無理…無理…」と弱々しい声で呟き続けたものだった。
学校公開はたくさんの保護者が授業を見に来る。
次男はそれを嫌って、土曜日の公開授業の日に登校できたことは今までなかった。
ただでさえも緊張して気持ち悪くなるのに、お父さんお母さんたちが教室の中で見ている状態で、授業なんて受けられない、と言っていた。
それが昨日は、「お父さん、明日見に来て!担任の先生がどんな先生か、お父さんにも見てほしいよ!」って。
私は、担任の先生にそのことを伝えながら、泣いてしまった。
緊張しすぎて、きちんと座っていられない次男の様子。
だらーっと机に半分寝そべるような姿勢になったり、足をしょっちゅうぶらぶらさせて落ち着かなかったり、勝手にノートをしまったりしている。
挙句には、みんながノートに何かを書いている時間なのに、歌い始めてしまった。
わりと大き目な声で、トトロの歌を歌っている。なかなかやめない。
周りが、「歌うなよ!」「うるさいよ!」と注意しても、止まらない。
見回りしていた先生が、「あれ?歌っているのはどなた?」と振り向いて、みんなが「将吾くん!」と言ったら、先生はただニコッと笑っただけだった。
次男は歌うのを止めた。
不安が高まったり、緊張したり、怖い気持ちになると、逆にはしゃぐタイプなのだ、次男は。
そのことを、私はこの1年を通して、痛いくらい思い知った。
そわそわと落ち着きなく動き回ったり、家の中で飛びはねまくったり、食事の最中なのに口にモノが入ったままトランポリンを跳んだり、絶え間なく繰り返してきた。
「そういう子」なのかなと思って、悩んで、投薬治療も考えたけど、そういう診断が下りなかった。
そして、不安だとそういう言動で緊張を紛らわすんだ、ということに辿り着いたころには、その症状は消えていた。
新しい担任の先生に、あらかじめそのことを伝えておいて、なおかつ正確に理解してもらえて、本当によかったと思った。
はしゃぐ子、元気な子、やんちゃで動きの激しい子、注意しても聞かずに何度も同じことを繰り返し、ちっとも聞いていない子。
そういう風に、見えてしまうのだ、次男は。そして明るくふざけまくっているので、「おちゃらけキャラ」だと思われるのだ。外見もサルっぽいし。
だからもちろん、ガツン!と怒られる。何度でもガツンとやられる。でも、怒られれば怒られるほど、不安が高まって、ヒートアップしてしまう。
そしてガラス細工のように脆い彼の心は、簡単に壊れてしまうのだった。
もともと幼稚園時代から、彼の度を越した動き回り方には手を焼いていたので、入学した最初から私は、当時の担任に、「授業中、動き回ったりしていませんか」「立ち歩きはありませんか」「きちんと座っていられずに、椅子からずり落ちたり、後ろ向きに座ったりしていませんか」と、ことあるごとに何度も訊いた。
その答えはいつも決まって、「いいえ、しっかり座って、集中して授業に取り組んでいますよ」「逆に、将吾くんってそんなに動き回るんですか?全然イメージがないんですけど」「休み時間も、まあ元気に遊んでますけど、そんな…よじ登ったりとか全然ありませんよ」だった。
今思えば…、担任の先生が怖すぎて、緊張しすぎて、微動だにせずに授業を受けていたんだろうなと思う。
当時のノートを見返すと、異常な筆圧の高さで文字を書いていて、数ページ先にまで痕が残るくらいだった。
そして1年生の3学期には、学校に行けなくなった。
だから、今、次男が新しいクラスで、そんな風に机にだらーんと伸びてみたり、歌ってみたり、ソワソワして落ち着きなくしていたり…は、「ああ、出せてるんだな」と思う。
新しいクラスの緊張、1年間休んだことの焦り、ずっと教室にいる疲れ、などを、自分なりに出してバランスを取っている。
もともと、きちんとした子だから、時期が過ぎたら、落ち着いて座って授業を受けられるだろう。
次男は今、1年生のときにできなかったことを、学校で取り戻している。そんな感じがした。
…と思いつつ、長男(小5)を見に行ったら、こっちもまあ、びっくりするくらい、安定の自由人ぶりだった。ひどい。
授業中なのに、私の姿を見つけるなり、「あっ!お母さん!俺、やっぱり視力検査の結果Cだったから、メガネ買ってね!!」と大声で呼びかけてくる。頭の毛穴が全部開いた。
思わず、「しーっ!」と制したら、先生が「ハイ。Cですね!」って拾ってくれた。
授業中の不規則発言も多いなあ…。独り言なのか、発表なのか、どっちつかずの感じで好きなように喋っている。頭の中に浮かんだことが、口からモロモロモロって漏れ出てくる感じ。
でも、見た感じ…、喋らないまでも、男子はだいたい、なんかこうチョロチョロ落ち着きがない子が多い。逆に女子はびっくりするくらい大人っぽい。
性差がはっきりしてきた。高学年ってこういうことなんだな…。
長男は、好きな感じでフラフラ首を動かして何かを眺めたり、かと思えば手元の紙には一文字も記入せずにボーッとし、いざほかの人がその用紙を見ながら立派な発表をすると、「ほわぁ。すげえなあ!」と大声で感心している。挙句、「お母さん!今の発表すげえね!」と小声で(口パクで)同意を求めてくる。
いいから!前を!向け!と身振り手振りでやりながら、なんかもう、この人は、ずっとこうなんだろうなーと、本当の意味で納得した。
今まで、何とか直そう、正そう、矯正しなくては、と焦り、ハラハラして気を揉んで、先回りして先生や友達に理解を求めようとしたり、それが叶わずに腹を立てたり傷ついたりしてきたけど、いやーもう、そういうの必要ないな、っていうか無意味だな、って心から思った。
授業をあからさまに妨害したり、クラスメイトに危害を加えたり、そういう感じだったらまた対処も必要になってくるけど、なんか長男は、「大声でのんきなひとりごとを言ってウフウフしている面白いおじさん」になるんだろうな、っていう感じがした。KYだけど無害なタイプです。
小さい時、もっとこうキーキーギャーギャーしてこだわりが強すぎて、「この子は長じて、キモ賢い路線で行くしかない」と思ったものだったけど、意外とキモさも薄れてきた(そして大して賢くもなかった。まあふつう)。キモくも賢くもないけど、マイペースで面白い感じだな。それがこの子の個性なんだろう。
何より、他人の頑張った成果や面白い発言などに対する、彼の手放しの称賛ぶりは、ちょっと特別な感じだ。妬んだり僻んだり、いじけたり、スネたり、貶したり、っていうことがびっくりするくらい、無い。素直なんだと思う。そこ、大事にしてあげたい。
久しぶりの学校だったし、授業の様子を見ながら、「ちゃんとしなさい!!!!」っていう気持ちにならなかった自分の変化が、とても興味深い1日だった。
憎しみを抱くことは怖くない
子どものことを、可愛くない、憎い、顔も見たくない、消えてほしい、ってギリギリギリギリ奥歯を食いしばりながら必死でそれらの気持ちを殺して、何とか地獄の底から這いあがってきたような1年だった。今、次男にも娘にも、そういう気持ちを抱くことは、ない。
進行形の時には、誰にも、誰にも、言えなかった。
言葉にするのも恐ろしかった、言霊を信じているから。
今は、まるでフィクションを語るのと同じように、あんな気持ちがあった…ということを言語化できる。
…あんなにも、強い憎しみ、どす黒い怨み、顔も見たくないし声も聞きたくないと真剣に心底から、叫び出しそうな、悲鳴にも似た激しさで思い詰めていたのに…、なのに、あんなにも強かったものが、こうやってきれいに無くなるんだな…。
だから、もし、そういう気持ちを子供に対して抱いてしまうほど追い詰められている人がいたら、私、「だいじょうぶだよ」って言ってあげたい。
渦中は地獄の苦しみだけど、でも、もう一回生まれたような気持ちで…、自分の子供を、心から可愛いと思えるときが来る。
特に娘を、こんな風に抱きしめられるなんて想像もできなかった。
だから、子供を憎いとか嫌いとか思ってしまっても、怖くないよ…。
…怖くない、ということを、今、自分にも言い聞かせている。なぜなら長男との決戦が残っているから。
きっと遠からず、また、蓋を開ける日が、来る。…こうやって気づいてしまった以上、それは、避けられない。
でもきっと、またいつか…、乗り越えて、笑って振り返ることができるはずだと信じる。
続いていくということ
結果論でしかないんだけど、次男の不登校状態が1年にも及んだのは、きっと、どこかで対応を間違ったんだろうなと思う。
たぶん、初期の段階。
でも、1年もの長期に及んだことで、そのことでしか気づけなかったこと、得られなかったこと、見えなかったことも、もちろんたくさんあった。
もしかすると、たとえば1か月くらいの不登校状態で済んで、そのあと復学してたとしても、今あるような気づきや体験、価値観の変化は得られなかっただろう。
だから、また不登校を繰り返したり、あるいは別の形で問題が噴出したり、何らかの問題を繰り返しただろう。きっとそれは、登校刺激を受けて何らかの化学変化が起こった後の日々にも、確実に訪れる。
さまざまな形で、見え方で、彼の中にある問題が浮き上がってくる。
問題の根っこは、深い深い部分に、ひとつかふたつあって、あとは表層部分に近づくにしたがってさまざまな現象に枝分かれして行って、表面に見えているいろんな現象はもう、ほとんど本質ではない。
だから、表面部分だけ必死に解決しても、また違うところで、違う問題として、出てくる。キリがない。
そういう意味では、根っこに近づいて近づいて、少しずつ本質の部分を解決しようとしている今の状態も、それはそれで確かに大事だと言えるのかもしれない。
でも、やっぱり一方では、1年もの長期に及んだ不登校で失った時間や、彼が受けるべきだったいろいろな経験、思い出、…そういうものに思いを馳せてしまう。
だけど、仕方ない。すべては、今、ここから、始めるしかないから。いつだって。どんなときだって。今、ここから、できること、やるべきことを探して、やっていくしかない。
…生きるって、生きていくって、難儀だなあ。ほんと。
だけど、つまづいても、ころんでも、ぶつかっても、痛くても怪我をしても、倒れても死にそうでも苦しくても、でも、おしまいじゃないよ、続いていくよ、大丈夫だよ、っていうことを、親が子に見せられる、最高のチャンスなんだろうな。
ごっこ遊び
娘がこの頃、かくれんぼをせがむ。
すきあらばかくれんぼしている。
しかも、すぐに見つけちゃダメで、いろんなところをあれこれ探して、どこかな~どこかな~ってやらないと、満足しない。
「ウッフフフ」っていう笑い声とか、「ここだよー!」っていうヒントとか、しまいには「○○を見てごらん!」って言い出したりする。
でも、それですぐに見つけちゃダメで、「え~?何か聞こえてきたけど、うーん、気のせいだなぁ!」などと小芝居をして、なおも探し続けないと、ダメ。
それをひっきりなしにやる。一日に何回も何回もやる。
『わたしをさがして』『わたしをもとめて』『つれもどしにきて』『何度でも』っていうサインなんだろうなあ、と思う。
たぶん、2歳くらいの子が、さんざんやる、アレなのかな。
きっと、やり直したり、取り戻したり、してるんだろうなあ。
出来る限り、つき合う。あまりにも手が離せないときは、「ちょっとごめん、今は無理だけど、後でやろう」って言えばすぐにわかってくれる(5歳だから)。
こういうの、必要な栄養なんだろうなと思う。
次男も、何か、こういうわかりやすいサインを出してくれたらいいのにな、すぐに答えるのにな、って思うけど、「それを真剣に探りながら、関わっていく過程」そのものが、彼にとっての大事なものなのかもしれない、と考え直す。
目の前にすぐ、安易に、回答をほしがらないこと。
それにしても、「子供相手のごっこ遊びなんか、くだらなくてバカらしくてつき合っていられない!」って鼻息荒く言い捨てていた過去の私は…、「自分が遊んでもらってないから羨ましくて悔しい」っていう恨みでいっぱいだったんだなあと。
わかったら、スッと成仏したので、今はいくらでもつき合っていられる。
子供たちがもっともっと小さくて、ごっこ遊びに真剣になっていた可愛い時期、あんなにイライラしないで一緒に遊びたかったな、もったいないことしたな、って思って泣けるけど、でも、それもこれも、全部ひっくるめての現在だし、これからのことだから、経験とはありがたいものなんだと思う。
同化してくる親
「次男が学校に行けないときに、(親は)がっかりしなくていい」っていうことを意識するようにしたら、朝、起こすときの悲壮感が無くなった。
さらっと声をかけて、起きなかったらまた何度か声をかけて、それだけでいい。
あんな大声で何十回も呼び続けなくてもいい、っていうだけで、すごく楽。
行ける日もある、行けない日もある、行けそうだったのに行けなくなる日もある、いろんなときがある。
そのときに「なんで???」じゃなくて、「どうなってるのかな」と、よーく観察するように。それが今後の課題。
原因や理由を探して、分析ばかりしない。
「状態」を観察すること。よーく見ること。
子供に感情移入しすぎている(夫婦そろって)っていうのは、ほんと、盲点だったというか、当たり前すぎて自覚すらなかった。
でも、そうだよね、「そうじゃない親」だっていっぱいいるもんね…!
あーびっくりした。気づいたらすぐ、やれることをやる。気づいたときに、すぐ変える。
よく考えたら(よく考えなくても)、「自分の感情に勝手に同化してくる親」って、めっちゃこわい。
めっちゃ怖すぎてホラーだよ…!猛毒じゃん…!
男子だから、母との同化の度合いがまだ小さくて済んでるっていうだけで…、こ、これが、おとなしくて従順な女子だったとしたら…(震え声)。
親は親、子は子、それぞれの問題。ということを、肝に銘じて生きて行こう。
先取りしない
カウンセラーさんに言われたこと。
「柚子さんは、子供の感情や行動が読めてしまう。そのことは、『分析』としてとても大切です。ただ、分析した上で、『手助けはしない』。それが理想です」。
すごくよく理解できた。
子供には、子供の苦しみを、苦しむ権利がある。
そして私は、子供がしっかりと苦しんでいるのを、見守って耐える義務がある。
それは責任でもある。
子供が何でモヤモヤしているかが見えるからといって、わかるからといって、そしてそれを言語化することができるからといって、やってはいけない。
これからは、やりそうになったら「がまん、がまん、がまん」って10回唱えることにする。
手出し、口出しは減ったけど、「子供のモヤモヤした気持ちをすぐに言語化する」のは、よくないと思ったことすらなかった。
なんかこう、何でもかんでもすぐに言語化するのをやめたい。
どーしたらいいの。写真でも撮るか。絵か。歌か。
たとえ何をしている時でも、頭の中で絶え間なく言葉が鳴り響いていて、どんどん勝手に思考が整理されて行ってしまうのだからー。なんかこう…、肉体を酷使するようなことがいいのかも。そしたら頭の中のおしゃべりが黙るかも。
筋トレだろうか。