子供を追いつめる「正論」

 担任の言っていることは理解できる。
 理解できるし、正しいことだな、間違っていないな、必要なことなんだろうな、とも思う。
 思うけど、でも、それは「今」、言うことなのか?
 今じゃなければいけないのか。
 あなたの信念、教育理念、指導方針、何らかの人生訓、ポリシー、みたいなもの、ありがたいご高説を賜るような、そんなことは私たちは必要としていない。
 頼んでもいない。

 担任の言っていることは理解できる…、と、こちら側が一方的に物わかりの良さを示す、そういうあり方って歪んでないか。
 私たちばかりが、相手の理解者であろうと努めているように見える、そのことは、どこかバランスを欠いていないか。

 子供を追いつめている正論を、「~すべき」という言い方を、一方的に押し付けてくるその姿勢を、私は「嫌だ」と言わなくてはいけない気がする。
 子供を守るためには、担任の側に立って「そうですよね、先生の言うことはわかります、正しいですよね、でもうちの子にはわからないみたいで申し訳ありません」なんて言ってないで、「その一方的な正論をやめてください、それが私の子供を追い込んでいる」と断固言うべきなんじゃないか。

 死ぬほどの思いをして、やっとのことで、怖いのを我慢して、一生懸命に、頑張って頑張って学校に行っている息子。
 休み時間に友達と一緒に遊ぶのが、ようやくの、現状。

 それなのに、頭から叩き潰すような真似をしておいて、それについては「やり方が間違っていたようで申し訳ありません」とは言うものの、また、(担任の中にある揺るぎない)正論を押しつけてくる。

 それは、正論だから、そのうち、きちんと受け容れて、取り入れます。っていうか、普通の状態だったら、言われなくてもやってます。
 
 あの担任が、あんなふうに「自分の正義」を振りかざしてくる限り、どうやっても息子は教室に戻れる気がしない。

 でも今必要なのは、担任に対して悪感情を抱き対立関係になることではなくて、どうやったら教室に子供が戻れるか?を考えて手を打っていくことだから。
 このムカムカは、今は、置いておこう。