夫婦の関係

 「子供の不機嫌に感応しない」、が私の今のテーマで、でも、それだとわかったら踏ん張りがきく。

 毎日、誰かの不機嫌につられてザワザワッとなるし、イライラしてわーっ!とひっくり返したくなるけど、ああ怖いんだ、怖いよね、でも引きずられない、頑張れ、と自分を励ましてるうちに状況が動く。これが待てなかった。 
 思えば、夫婦仲が(一見)円満だったのは、夫が不機嫌にならない人だから。その一点に尽きる。

 だから、いろーんな問題や不満があっても、表面化させずに済んだと言うか、直視せずに、そして仲良く過ごせてた。私には、不機嫌をぶつけてこない存在がひたすら安心でありがたかったんだな。安心がほしかった。  もう、怖くないな。

 いや、怖いけど、だからといって、夫が不機嫌にならないようにと先回りするようなことは、もうないだろう。

 「不機嫌にならない人が、もし、万が一、怒ったら、もうおしまいだ」ってものすごく怯えていたのだ。

 でも、もう怖くても踏ん張れる。他人の感情は私のせいじゃない。  
 もう、ほんとに驚きだった!!!他人の不機嫌の責任を取らなくていいなんて、知らなかった!!

 
 夫に嫌われるのが怖くて、言いたいことを言えない、不満を伝えられない、と長らく思っていた。

 でも、違った。

 私は、夫を機嫌よく保っていることが好きだったのだ、彼が幸せそうにリラックスしている様子が、私には「安心」であり「癒し」だったのだ。

 だから、不機嫌になる(かもしれない)ことは、できなかったのだ。
 嫌われるのが怖かったのではない、不機嫌になる(かもしれない)ことが、耐え難い苦痛だった。

 いつも楽しそうにニコニコして感情の起伏が激しくなく、声を荒らげたり大声を出したりせず、イライラもせず、そばにいてくれる人が、もし、万が一、私のせいで不機嫌な様子を見せたりしたら、怖くて生きていけない。 

 そのくらい私は、他人の感情の荒れに怯えていて、傷ついていて、恐怖を感じ続けていた。夫と一緒に過ごしてきた長い月日、彼が私をそういう恐怖に晒したことは、ない。だからこそ、怖くて、先回りして、つねにご機嫌でいてもらえるように頑張ってきたんだと思う。
 そもそも、彼の側からの猛烈極まりない押せ押せで始まった交際なのに、なんで私は、いつのまにか嫌われる心配をしてるのかなあ?と疑問ではあった。私は、初めて安心をくれた人を、失いたくなかったんだなあ。でもそれは、本当の意味で彼そのものを信頼していたとか愛していたとかではない、と、気づいてしまった。

 というわけで私は、今までの円満な関係に訣別し、もう1回、構築し直すことを決めた。

 楽しくて、仲良しで、笑い合っていればそれだけでよかった、そんな日にはもう戻れない。ムカついて、ぶつかって、叩きのめしたり、へし折ったり、お互いに見たくないような顔を見せ合い、嫌な言葉も投げ合い、それでも、やっていこう。
 子供がいなければ、きっと私たちは、ままごとのように、閉じた世界で、仲良く穏やかに暮らしていけたと思う。

 幸せだった、誰も私たちに嫌なことをしなかった。

 その閉じた世界に、めり込んで、こじ開けて、ヒビを入れ穴を開けたのは子供たちだ。否応なしに向き合わざるを得ない、現実。
 私たちは、親になったのだから、この子供たちの親としての役割を生きるのだから、ともに闘う仲間だ。

 

 私はもう、誰の機嫌もとらない。

 夫も、子供たちも、私の不安を埋めるためにあるのではない、人生の一時期をともに過ごす、不思議な縁をもって生まれてきたのだ、お互いに。

 私の責任でも何でもない、それぞれの、人生。

 
 私がそのように気づいてしまったせいで、今までくるまっていたぬくぬくの毛布を突然むしりとられ、安住の楽園から追い出されたような夫は、気の毒に、さっきストレスで吐いてたよ…そして吐いたことをアピールしてきた。今までならめっちゃアワアワしたけど、「そう、心配だね」ってスルーした。40歳だもの! 
 要は、私はもう、自分の安心や癒しのために、家族を甘やかしたりご機嫌をとったりすることで、結果的に家族を腐らせるような真似はしない!ってこと。

 家族のために、心配したり、世話を焼いたりは、する。

 でも、自分が楽になりたいがために手出し口出しすることは、やめる。

 全員で、自分の足で、立つんだ、歩くんだ。