学習発表会

 11月12日(土)は、小学校の学習発表会だった。

 2学期の次男の登校の様子は、五月雨登校で、行けたり行けなかったり、波がある。
 それでも、「完全に行けない日」というのは実はほとんどなく、私が付き添っていれば、授業も出られる。給食も食べられる。
 けれど私も、娘の幼稚園の送迎があり、びっしり小学校に張りついているわけにはいかないので、次男を送っていったん帰宅して、娘を送って、また小学校に戻り、時間が許す限り学校にいて、ギリギリになったら娘を迎えに行き、また学校に戻って…みたいな、ほんとうに分刻みのスケジュールで毎日動いていた。
 …本当は、五月雨登校や、同伴登校は、「不登校が改善した」とは、必ずしも、言えない。松葉杖のようなもので、痛めた足そのものが治らない限り、自分で立って歩くことはできないのだから。
 でも、松葉杖だろうが、つかまり立ちの歩行器のようなものだろうが、母親がその役割を我が子に求められていて、そして、いつか手を離すまで、練習につきあうという心持ちでいるなら、有効だと思う。思うしかない。埒もなくだらだら付き合って漫然と日が過ぎていくことには耐えられないし、少しでも、ほんのわずかでも、「学校」という場に参加して、その空気を吸い、友達と交流し、教室に身を置くことや、毎日決まった時間に動くことは大事だと思ったのだ。

 不思議なのは、次男は友達との交流には全く難がなく、むしろ大好きで、クラスの友達もみんな次男のことを好いてくれているのがよくわかる。
 授業中も、積極的に参加して、手を挙げて発言したり、友達や先生の冗談に笑ったり、ごく普通の様子だ。
 それなのに、行けない。
 不登校というものは、根が深い。

 そんな次男にとって、学習発表会は、ひとつの大きな山場だし試練だと、私は身構えていた。
 練習に参加できる気がしなかったのだ。
 1学期、運動会のときに、とても、とても、つらい思いをした。…つらくて、まだ、書けない。思い出しただけで、かわいそうで涙が出るし、親も切なかった。まだ5月で、不登校が本格化したばかりで、私にも覚悟が全然足りなかった。
 だから、学習発表会も、期待したら傷つくなあと、あまり考えないようにしていた。
 それが、配役オーディションに、参加してきた。
 やりたい役があったから立候補して、でもダメだったから、第4希望までオーディション受けてきた、そんでおじいさん役に決まったよ!という。
 おむすびころりんの、おじいさん役。
 ほんと?やる気が出てきたね、嬉しいね、本番まで練習頑張れる?…と訊きながら、嬉しさより心配の方が勝った。
 直前で、やっぱりできない!って言い出したら、周りに迷惑をかけるから…と、気が気じゃなかった。
 その心配も含めて、担任とはよく相談をし、連絡を取り合いつつ、練習に出られる日も、出られない日もあったけど、頑張って本番を目指していた。
 それが、本番も近くなったある日に、急に、「もう練習に行けない…」と言い出した、真っ白な顔をして。
 詳しく聞いても、「怖い」「無理」と繰り返すだけ。
 時間をかけて、日にちをかけて、何とかわかったのは、全体練習の時に、担任の先生がダメ出しをするのが恐怖で耐えられないのだという。
 見学していて、なるほど、私にもそれはわかった。大声を出されると委縮してしまい、口調が強いと緊張して固まってしまう。
 次男は、担任の先生が怖くて、学校に行けないのだ。どうしても、どうしても、トラウマのようになっていて、それは理屈ではどうやっても溶かすことができない。
 いつまでも練習に穴を空けるわけにいかないので、事情を話し、まずは役をおろしてもらえた。これでひとつ、ホッとする。
 その次は、どうにかして本番に参加できないか?という方法を先生たちも考えてくれて、「個人のセリフなし」「何人かで登場する」という役なら大丈夫そうだということに落ち着いた。
 結局、次男は、セリフのない「子供たち」という役をもらい、何人かでいっぺんに登場して、おばあさんにお話をせがむ、という場面を与えられた。
 それからは、家でもよく歌の練習をしたり、授業も出られるものは出たり(付き添いで)、ダメになったらいったん帰宅し、落ち着いたらまた再度登校する…などということもしていた。
 本当に学校に行けない子は、1日に2度も登校しないと思うんだ…。
 もちろん、再度の登校にも下校にも私は付き合うので、大変と言えば大変だけど、それでも、「今日もう1回学校に行ってみる」と言われれば、応援してやりたいのだ。
 
 そんなこんなで、迎えた、12日の本番。
 次男は一生懸命参加していて、舞台の端から私を見つけて、にっこり笑った。
 ああよかった、ああよかったなあ、と私は心から安堵して、これでひとつ勢いがついて、2週間後の遠足も楽しく行けるだろうな、と思った。

 しかし、事態は急転直下の展開を迎えた。
 その日、昼に帰宅した次男の様子がおかしい。
 顔面蒼白で帰ってきて、興奮しながら吐き捨てるには、
 「先生が今日の学習発表会は大失敗、0点だと言った!それから、学校に来たくないやつは来るなと言った。だからもう二度と学校には行かない!一生懸命練習を頑張ったのに、こんなことになるなら最初からやらなきゃよかった!」
 そして、怒りのあまり全身をぶるぶるさせて、目を真っ赤にして「せっかく頑張ったのに!!」と言う。
 
 私は、もう血の気が引いて、頭も真っ白になった。そのあと、猛烈な怒りと悲しみが沸き上がってきた。
 これだけ敏感な子が、必死に必死に、這うようにして参加した練習、そして迎えた本番は、親が見ていても胸が熱くなるくらいの完成度で、帰ってきたらいっぱい褒めてあげようと待っていたのに…。
 いったい何が起きたのか、わからなかった。
 次男はさんざん喚き散らすと、お昼ごはんを食べ、それから機嫌を直して遊びに行った。
 夫は、宿直勤務明けで仮眠を取っていたので、いったん起こしてことのいきさつを説明し、「とりあえず私は担任に面談を申し入れるので、そのときには一緒に行こう」と言った。
 それから、学校に電話をして、担任に、「次男が先生にこう言われたので学校には二度と行かないと言っている、ついては、おそらく何らかの行き違いがあると思うので、ことの詳細を明らかにした上で、今後の方針について相談したい。その際、できれば、校長先生の同席をお願いしたい」と申し入れた。
 担任は、「えっ、そんなことを言ってましたか…」と絶句した後、「わかりました、詳しい話は後程」ということで、面談の時間を約束してくれた。

 そうこうしているうちに、私も頭が冷えてきて、普段接している限りの担任は確かにめちゃくちゃ厳しく、子供にも容赦ない、逆に言えば子供の機嫌を取るような媚びたことを一切しない。でも、人間だから感情的になることはあるとはいえ、「学校に来たくないやつは来るな」などと言うのは考えにくく、何か誤解があるのでは?と思った。
 もしそういう誤解があるのであれば、担任と校長、私たち両親が同席の上で事実を全員で確認し、共有し、今後の方針についても改めて相談しよう。それが一番、子供のためにもなる。
 怖いのは、次男の問題を、「誰かのせい」「何かのせい」にすることで、そしてそれはとても簡単で、とても魅力的な方法なのだった。そうすることができたら、どんなに気持ちが楽になるだろう。だけど、それは、次男を救ってはくれないのだ、どんなに親が楽になったとしても。

 面談の結果としては、担任が暴言を吐いたというのは誤解であり、しかしそう捉えられる可能性のある文言を口にしたことは事実であり、次男のように難しい課題を日々頑張っている最中の児童に対して、そういう言葉を言ってしまったことの非は全面的に謝罪しなければならない、と担任は言った。
 ことの顛末を聞けば、それは先生としてはしっかり児童たちに指導しなければならない出来事であり、ただそれを受け止める側にも、子供なりのバイアスがかかってしまったということだった。
 次男は、自分に言われたわけではないことでも受け止めてしまうし、ほかの子への叱責や注意などでも恐怖で委縮してしまう。今回もそういうことではあった。

 大人同士でよく話をし、理解もでき、納得もでき、今後の方針も相談できたし、帰宅後に次男に話をすると彼もだいぶ落ち着いていて、先生の言ってることはよくわかったし、もう怒ってない、とも言った。
 そして夫は、「将吾が怒っていたことにびっくりした」と言う。
 確かに、今までの彼だったら、そんなショックなことを言われたら、真っ白になって帰ってきて、口もきけずにぐったりしていただろうし、しばらくは引きこもったと思う。
 それが、カンカンに怒っていて、怒りながらごはんを食べ、元気になって遊びに行った…のだから、ずいぶん、内面的には落ち着いてきてるんだろうね、と話し合った。
 
 しかし、その翌週から、やっぱり学校には行けなくなった。
 今までに比べて、抵抗が、ものすごく強い。
 私もずいぶん頑張り、次男を支えながら、何とか1週間は登校した。担任とも仲直りの握手をしていた。
 ようやく1週間を終えた金曜日の夕方、娘の骨折騒動が起きる。
 そして今週。
 骨折娘は幼稚園に行けないし、通院もあるので、私は次男に付き添えなくなった。
 当然、彼は、学校に行けない。
 今週は1日も、1時間も、登校できなかった。できなかったことで、彼の中で、どんどん不安だけが膨らんでいったんだろうと思う。
 とにかく毎日、何らかの形で学校にいられたときは、ここまで怖がることはなかった。
 
 そして、明日は、楽しみに楽しみにしていた遠足なのに、「行けない」「怖い」と泣く。
 「遠足に行きたくない子供なんていないよ!行きたいよ」と泣く。
 でも、怖いのだと。
 怖いのは、先生が怖い、何かをして怒られるのが怖い、としきりに訴える。
 ひとしきり訴えた後、ホットミルクを作ってやったら美味しそうに飲み、「少しだけ落ち着いた気がする」と言って、明日のおやつを袋に入れ始めた。
 同じ班の子たちと交換するから、これは何人分持っていく、これはひとりで食べたいから別にしていく、足りるかなあ、みんなで交換したら楽しいだろうなあ、と言って嬉しそうに準備しながら、ふっと手を止めて、「…でも、明日、行けるかなあ…」と言う。

 行かせてあげたいなあ、なんとか行けたらいいのにな…。
 代わってあげたいけどさ、お母さんにできること、何にもないんだよ。何にもできないね。
 行けなかったら、しょうがない、行きたかったね、残念だね、悔しいよね、って一緒に泣こう。
 子供が悲しがることを、私は怯えずに受け止めよう、それくらいしかできない。
 だけどきっと、その悲しさを、しっかり受け止めてもらえれば、子供はきっちり「悲しみ抜いて」、そして自力で立ち直る気がする。自力で立ち直ることにしか、活路はないのだから。
 頑張れ、あなたの泣いたりわめいたりを、お母さんが受け止めるから、思う存分、泣き騒げばいいよ。安心して取り乱せばいいよ。ちゃんと、支えててあげるからね。