分岐点

自分で目的を持って、自覚的に行動する…って、すごく大事だなと思った。という話をします。

 育児の場面において、そんなにしっかり、はっきり、「こういう目的のためにこれをやるのだ!」って意識して話したり行動したりっていうことは、案外少ないような気がする。もっと衝動的だし、もっと感情的だ。
 
 私は、長いこと、本当に長いこと、娘のことを制御できなくて苦しんでいた。
 とにかく、言われたことをやらない、わざと真逆のことをやる、親や兄たちに嫌がらせをする、ふざける、そればっかり。
 「言うことをきかない」、これが、娘の最大の特徴だった。
 どんな小さなことでも、絶対に、言われたとおりに動かない。
 危ないからやめなさい、と言うと、わざと、やる。
 うるさいから静かにして、と言うと、わざと、さらに大きな音を立てる。どんどんエスカレートする。
 痛いから叩かないで、と言うと、もっと力を入れて叩いてくる。
 馬鹿みたいにピアノをガンガン叩く。やめて、というと、今度は足で踏む。
 踏まないで、と注意すれば、助走をつけて走ってきて飛び乗る、とか。もうすべてがそんな感じだった。
 毎日。その連続。つねに。
 何かを彼女に言って、すぐに、言われたとおりにしてくれた、ということは、一切、ない。断言できる。
 ない。

 そして、そういう娘のことを、私は、憎たらしくて憎たらしくて、もう怒りのあまり耳から脳が出るんじゃないかってくらいの憤怒で、頭の毛穴も全開だった。
 甘えるのも下手で、いきなり、全力で飛び乗ってきたりする。
 こっちが油断して、しゃがんでいるときとか、ボーっと立っているときに、背中に飛び降りられたり、助走をつけて背中から飛びつかれたりして、転んだり身体のどこかを痛めたり、それも毎日だった。
 怒鳴る。「やめてって言ってるでしょう!何で急に飛び乗るの!痛い!!」
 でも、謝らない。
 「ヘイヘーイ」とか言って、ベロ出して、走って逃げるのだ。その憎たらしさ。

 怒鳴っても効き目がないので、当然、叩くようになった。
 叩いても言うことを聞かないどころか、どんどんエスカレートするので、こっちもエスカレートしていくしかなかった。
 怒鳴っても叩いてもまったくやめないし、嫌がらせのような悪ふざけは悪化する一方なので、怒鳴り、叩き、それでもダメな時は、無視した。これ以上、娘のことを見たり、声を聞いたりしたら、頭がおかしくなると思った。

 家族の全員が、娘にうんざりしていた。
 夫なんて、私よりさらに激しくて、「叩き方が足りないんじゃないか」「わかるまでやるしかない」って言っていた。でも、これ以上、力を強くしていっても、無理じゃないかなと私は思っていた。
 だけど、暴力や怒鳴り声や無視することのほかに、彼女を、どうにかする方法を、思いつかなかった。
 気持ちに寄り添うとか、絶対やりたくない、やってやるもんか、って思っていた。
 ふざけんな。
 こんな憎たらしい子のために、私があれこれ我慢して、怒りを抑えて、優しくしてやるなんて冗談じゃないって思った。

 で、途中経過については長くなるので省略するけど(そのうち、これはこれで記録に残すけど)、いろいろなことがあって、「娘の気持ちになんか寄り添ってやるもんか!」みたいな、私の中のどす黒い怒りに振り回されてるような場合じゃなくなり。
 本当にそれどころじゃなくて、娘の爆発が、それはもう、ものすごくて。よく通報されなかったなっていうレベルの泣き叫び(断末魔のような絶叫)や悲鳴などもしょっちゅうだった。
 どうしてそういう叫び声が出てきたか?っていうと、私が、娘に暴力や暴言を一切やめ、怒鳴ったり叩いたりせず、「ちゃんと本気で向き合おう」って決めたら、その途端に出てきたのだった。
 今まで、どれだけ叩こうが怒鳴ろうが、泣き声あげるどころか涙も見せなかった娘が、私は何もしていないのに、ただ抱きしめて話しかけているだけなのに、死に際の獣が断末魔の咆哮を上げてるような凄まじさで叫び暴れた。
 しかも、「痛い!痛い!」って泣き叫ぶ。何も痛いことなんてしていないのに。

 それが、娘が今までに味わってきた、心の痛みを訴える声なんだと気づいたとき、恐ろしさに震えが止まらなくて、どれだけ泣いて詫びてもこの子には足りない、私は罰を受けなければならないと心から思った。

 そんで、罰を受けるってこういうことかな?みたいな、結構な過酷な目に私も遭い、でも、きっとそんなもんじゃまだまだ足りなくて、今も日々、継続中。
 
 ここで冒頭に戻るんだけど、ついさっき、娘が長男のランドセル(床にぶん投げてあった)をまたいで、ついでにちょっと嫌がらせをして、踏んだらしい。
 長男が、キャアアアアア!謝れ!謝れ!みたいに、噴き上がり。娘が、わざとぐねぐねしながら、「ゴメンネー」って棒読みして。
 「そんなんじゃ謝った内に入らない!ちゃんと座って謝れ!」
 「えぇ~、だって、ちーちゃん、踏んでないもぉーん。ぶつかっちゃったの!わざとじゃ、ない、もーん☆」って、完全におちょくってるんである。
 それで私が出て行って、まず、「ここに座りなさい」って場所を示した。
 娘は当然、引っ込みがつかなくなっているので、座らない。四つん這いになって、廊下をうろうろ往復したりしてふざけている。
 もうそのへんで、かつての私だったら、ぶっちーーーーーーん!って切れてる。
 でも、違うな、って、解釈することに「決めた」。
 この子は、試している。
 私が、きちんと話を聞いてくれるようになったのは、ホンモノなのか、一時的なモノなのか、試してる。
 どれだけおちょくっても、ちゃんと見て、聞いて、そして直してくれるのかどうかを、こうやって確かめてるんだ。と、思った。根拠はないけど。そう決めた。

 決めたので、その目的(娘が私を試していることに、こちらも耐えて結果を出す)を達成するために、まずは心を落ち着かせて、ひとつひとつの過程を観察しよう。と思った。
 四つん這いをやめた娘は、私の前に座り、座ると見せかけて、タコのようにぐにゃぐにゃ姿勢を崩し、変な顔をしてふざけ始めた。
 「そういう顔はしなくていい。今、きちんと話をしようとしてるんだから、真面目に座ってください」と私は言った。
 「ヘイヘェーーーーイ☆」ってふざけながら、娘は目を寄せてベロを出し、ペロペロ動かしたり、息を吹きかけてきたりした。
 私の後ろで、夫が、怒りを嚙み殺している気配が伝わってきた。今にも飛び出してきて殴りそう。
 あー、腹が立ってるんだろうな、でも我慢して見てるんだな、と背中で感じる。
 「そういう悪い態度を取っても、無駄です。私は、あなたが、ちゃんと話を聞ける子だということは知っているし、悪いことをしたら謝れることもわかっている。だから、そうやって悪ふざけするのはやめなさい。無意味です」と私は言った。
 娘はそれでも、なお、ふざけた。
 そのやり取りが、5~6回続いた。
 そのうち、娘の顔つきが変わってきて、バカみたいな顔から、スッと…、「物事がわかっている子供の顔」になった。
 そして、落ち着いた声で、「ごめんなさい」と言いながら、きちんと座り直した。
 「もうわかったね?そしたら、お兄ちゃんに何を言うの」
 「ふざけてランドセル踏んでごめんなさいって言ってくる」
 そして立ち上がり、私が見ていると、長男の前に座って、床に手をついて、「お兄ちゃん。さっきはふざけてランドセルを踏んでごめんなさい」と謝っていた。
 まるで別人のようだ。
 数か月前、暴れ狂って悪ふざけをし、嫌がらせの限りを尽くし、兄たちのモノを投げ、壊し、走って逃げたヤツは何だったんだろう。
 怒鳴らなくても、叩かなくても、脅さなくても、機嫌を取らなくても、条件をつけて取引しなくても、ただ、「ちゃんとできるってことは知ってる」という姿勢を絶対に崩さず、静かに「待つ」、それだけで、娘は落ち着いた。

 途中、娘におちょくられて、怒りがわかなかったとは言わない。
 猛烈な怒りは瞬間的にぶわーーーーーーっと湧いて、でも、私は、「今は目的のために、落ち着こう」と努力した。
 実験みたいなもんだ。
 ここで私が怒り狂うのは本当に簡単で楽なことだけど、それをやらない、と決めて行動することで、どういう結果になるかな?と、意識的に行動した。

 怒鳴らなくてよかった。ブチ切れてボコボコにしなくてよかった。
 違う世界を見ることができた。
 
 怒らなくても言うことを聞かせられる、っていうことがわかれば、別に、怒りを「使う」必要はなくなる。
 怒りを抱くことはもちろんあるけど(人間だもの。)、だからといって、それを、噴き出させてぶつける理由はなくなる。

 私、怒りすぎて、心臓が破裂するか脳の血管が切れて死ぬな、って、毎日毎日思っていた。冗談じゃなくて、本当に命の危険を感じるくらい、怒りまくっていたし怒鳴りまくっていた。無駄なのに。誰も私の言うことを聞いてくれなくて、絶望しかなかった。

 今、たぶん子供たちは、「ブチ切れて怒鳴りまくってたお母さんより、正座して静かな声で丁寧な言葉で迫ってくるお母さんのほうがおっかない」って、思ってるんじゃないか。

 子供を変えようと思ったら、自分が変わるしかなくて、自分が変わることはとてもとても苦しいことだけど、でもそれしか方法がないから、やるしかない、のでした。